~徒然だより~「お知らせ」
報恩講法要のお知らせ
朝夕がぐっと冷え込み、秋から冬へと季節が移り変わってきているなと感じる、今日この頃。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、因念寺では、来る12月1日(日)15:00より報恩講法要を勤めます。
報恩講法要とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が亡くなられたご命日の法要でございます。
この日を縁に、親鸞聖人のご生涯を偲ばせて頂く中で、この私に阿弥陀様のお念仏の道を示して下さったことに、「ありがとう」とお念仏申させて頂く日であります。
15時より皆さんとお勤めをした後、法話を当山住職が行います。
みなさまお誘い合わせの上、どうぞお越し下さいませ。
報恩講法要 法話 は下記の予定です。
法話タイトル「両手・両足をなくした中村久子様のお念仏に学ぶ」
中村久子女史とは
明治30(1897)年誕生~昭和43(1968)年72歳にて往生
わずか3歳で突発性脱疽(だっそ)に罹患。命を取るか両手両足を切断するかの判断に迫られ、両腕は肘関節から、両足は膝関節から切断。
10歳で失明するも両眼はその光を取り戻す。
20歳で見世物小屋に入り「だるま娘」との芸名で全国を興行する。
この頃より独学で勉強し、裁縫・編み物が著しく上達。師について書道も学ぶ。
昭和12年(1937)久子41歳。ヘレンケラーと最初の会談。自作の大和人形を送る。その後2度も二人は会っている。
4度の結婚を経て3人の子供をもうけるが、一人は死亡。
母として母のつとめの 足らざるを
朝な夕なに わびつすごしぬ
と詩った。そしてお念仏に触れて熱心な念仏者となる。
手足なく 六〇年はすぎにけり
お慈悲のみ手に ともなわれつつ
あるいは
宿世にはいかなる罪をおかせしや
おがむ手のなき われは悲しき
手足なき 身にしあれど生かさるる
いまのいのちは たふとかりけり
と法悦を詠っておられます。今回の法話はこの久子女史のお念仏の味わいについて話します。
因念寺 第五世 淺田惠真
9月23日 秋のお彼岸法要
9月23日に因念寺にて、秋のお彼岸法要が勤修されました。
みなさんと阿弥陀経(訓読)のお勤めの後、当山住職より「無用の用」と言うテーマでご法話がありました。
住職の恩師である、山崎先生の23回忌を偲びつつ、山崎先生の口癖であった「無用の用」から、浄土真宗の『他力の救い』について紐解いていく内容でした。
「無用の用」とは、老子の言葉で、『一見、実用性のないものであっても実は重要なはたらきをなしていて、必要なものである』という意味なのです。
無用の用とは、つまり、何一つとして欠けるものはないということでしょう。
無用の用という切り口から、トリプルミリオンを達成した「世界に一つだけの花」という歌詞の話、そして「阿弥陀経」の『青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光』を味わいました。無用の用は私たちのこの世界からみる言葉ではありますが、仏様は私たち一人一人のこの命が、かけがえのない命であるといつでもどこでもどんなときでもみていてくださっておるんだと感じさせて頂くありがたい法縁でした。
「住職の話がわかりやすく、もっとお聞きしたいくらいでした」とのお声もいただきました。嬉しい限りです。
次回の法要は、報恩講(12月1日15:00~)です。よかったら少し仏教の話に耳を傾けてみませんか?